超速日本史 近現代 竹内睦泰 著  オーディオBOOK

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超速日本史 近現代  竹内睦泰 著  オーディオBOOK
これは、前回の古代から大政奉還までの続きになります。
戦争に明け暮れる時代になります。
しかし、時代の背景にはやはり、帝国主義、植民地政策の列強からの
植民地支配を防衛するためのアジアの堤防になったという大きな意義は歴史から消えることは
ないと思いますし、歴史にもしは禁物ですが、もし、日本という国がなかったならば
今でも、アジアは列強国の植民地になっていたことでしょう。
大国の清を破った日清戦争
黄色人種が始めて白人に勝った日露戦争しかも相手は、当時世界最強
パリ講和会議で当時は絶対にありえない、人種差別撤廃を世界へ発言。
白人が人種を支配するというのが当たり前の時代。
多くの列強からの植民地を開放する結果になった事実。
もちろん、いけないこともたくさんしてきました。
しかし、当時の日本の国民は自国をそして、アジアを守らなければアフリカや
アメリカのようになるということを恐れた。
結局は上記のような列強諸国が好まない結果を日本が収めたために、
アメリカでは、「オレンジプラン」が1925年くらいには
作成が開始される。それは、日本を仮想敵国としての戦略論。
帝国主義の白人社会を猛威を振るっていた時代、日本という国は
もっとも危険な存在になる。
そのご、どんどん、挑発される形で第2次世界大戦に突入して、
沖縄上陸、東京大空襲、原爆と悲惨な流れになっていく。
そのなかでも、今回の超速日本史で取り出されている人物、あまり教科書では
教えられていない人物「石原莞爾」は美化されている部分はあると思いますが感動しました。
これからは、石原莞爾美談です。
21倍の敵に勝利>
満州に駐屯していた、関東軍参謀石原莞爾
21倍の中国人に相手に事変を起こし、満州を占領、そして、満州国を建設までする。
それは、すべて彼のシナリオどおり。
関東軍は満州事変勃発直後、拡大を開始する。日本政府は「拡大するな」と内閣総理大臣
命令で石原莞爾を止めにはいる。それに対して石原が発言。
「たかが、内閣総理大臣の言うことなんか聞けるか!!我々はひとたび戦争が
始まると統帥権があり、天皇の命令のみを聞く!!」
と政府の指示を一蹴。そして、21倍の中国軍に勝利。
政府を驚愕させた電報>
石原莞爾の親友が2回目のクーデターを起こし失敗する。そして、今度こそ
死刑になるとみんなが思っていた。
そこに、満州より1通の電報が届く。
「我らが同士を思い罪に問うならば我々関東軍は日本国より独立する」と政府を脅迫。
現にアメリカ合衆国はこの方法でヨーロッパから独立をしている。
関東軍を処罰しようにも、関東軍は中国と戦争中。
そして、日本軍の中に石原莞爾を倒せる人はいなかった。
そのために、死刑が数日間の謹慎で完了した。
この件に関して、石原莞爾は電報主が自分であることを否定。
石原莞爾の東京裁判>
彼は、被告ではなく証人として呼ばれるが、
「俺は、病気だ。話が聞きたければお前らが来い」と、裁判官達を東北まで出張させる。
そして、
石原
「戦争責任は満州事変を起こした俺に責任があるのに、なぜ、俺に責任追及をしない」
とも発言。
裁判官
「21倍の中国人に勝てると思ったのですか?」
石原
「君、戦争は数ではない。作戦だ。今回の戦争、私が指揮を執っていたら、君の席に僕がいて
僕の席に君がいる」
裁判官
「日本の侵略戦争すべてを裁きたい」
石原
「じゃあ、ペリーを連れて来い!!鎖国をしていたのに無理やり開国させたのは
お前らだろ!!」
裁判官
「東条英機と思想上の対立があったといわれていますがどうでしょうか?」
石原
「ない。思想上の対立なんか無い。俺には少なからず思想はあるが、彼には思想なんてない。」
裁判官
「今回の戦争で1番の犯罪人は誰ですか?」
石原
「トルーマン。お前らの大統領だ。罪が無い一般人を東京、沖縄で殺しまくり。
そして、広島、長崎は原爆で殺す。トルーマン以上に罪が無い一般人を殺した人がいるか?」
まとめ
かなり日本びいきの感じもしますし、偏った思想かもしれませんが、
どちらつかずの思想よりは芯が通った素晴らしい思想だと思います。
ビジネスでは、人が死んだりとかは起きませんが、交渉の場でこのくらいの丁々発止の
言葉を使ってみたいです。

Author

おか部 雅彦
おか部 雅彦Japan homes Directer
Born in Japan in 1973. At University I learned Japanese History.

After graduation, I worked at a major Dental material company as a top salesman. In 2002 I firstly set my foot on land in New Zealand, and have started to engage in NZ Construction firm since 2004. From the 8 years' experiences at construction sites and sales experiences in Japan, I devote myself to satisfy customers from consultation to construction and after care services.

Within the first 4 years after the foundation, half of Japan Homes' customers were similar ages of mine. So that their life environment such as a number of children were also similar to mine therefore I was able to understand the customers' situations and wants more. Meanwhile there are also many customers of my father's generation, which is always appreciated because I can learn lots of good things from them.

We try our best to provide services that you satisfy, such as schedule, quality and after care service.

"I can trust you with any projects." "You are the man who I can rely on when I am in trouble." I enjoy working to get these words more times and to create as more smiles as possible.

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